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ピューマ渡久地の今現在。重責癲癇で家族も嫁も子供も…全ての記憶を失っていく。経歴や戦歴やプロフィールも

投稿日:

癲癇【てんかん】…脳細胞に起きる異常な活動のためてんかん発作を神経疾患。

昔は放っておくと舌を噛んだり、少し異常な行動を起こす事から差別の対象となる事もあったようです。

さて、たったこれだけでも怖い神経疾患という事は何となくでも分かります。

しかしこれは軽度のお話。

これが重度になればもっと恐ろしい事になります。

鬼塚勝也・辰吉丈一郎と共に平成の三羽烏と呼ばれたピューマ渡久地さん。

渡久地さんは重責癲癇(てんかん重責)でした。

この病気のせいでピューマ渡久地さんは家族と離れ離れになります。

ピューマ渡久地の今現在と重責癲癇で家族も嫁も子供も…全て失っていく記憶について調べました。

 

 

ではまずはピューマ渡久地さんについてから。

 

ピューマ渡久地の経歴や戦歴

参照:Yahoo!

 

プロフィール

 

名前 ピューマ渡久地
生年月日 1969年11月20日
出身地 沖縄県石川市(現うるま市)
身長 161cm
血液型 A型
学歴 興南高等学校卒業、日本大学農獣医学部中退
ボクシングスタイル 右ファイター

 

プロ戦績 27戦23勝(19KO)4敗
アマチュア戦績 58戦53勝5敗

 

戦績

1988. 8. 2 小松正道 ○KO4R 
1988.10. 5 高山英樹 ○KO4R 
1988.11.10 原 敏和 ○KO1R 
1988.12.21 川島郭志 ○KO6R 
1989. 2.27 吉田安伸
(全日本フライ級新人王獲得) ○KO3R 
1989. 4.10 マニー・メルチョル ○KO7R 
1989. 7. 1 前田武士 ○TKO2R 
1989. 9.11 桜井靖高 ○KO3R 
1989.11.13 川島光夫 ○TKO2R 
1990. 3.19 松岡洋介
(日本フライ級タイトル挑戦・獲得) ○KO7R 
1990. 8.27 高田 順
(日本フライ級タイトル防衛1) ○KO1R 
1990.11.29 松岡洋介
(日本フライ級タイトル防衛2) ○判定10R 
1993. 4.20 ヘスス・ロハス ●TKO9R 
1993.12.14 ドディ・ボーイ・ペニャロサ ○判定10R 
1994. 4.19 タシー・マカロス ○KO3R 
1994. 8.28 権 昌夫 ●TKO8R 
1995. 1.23 岡田明広
(日本フライ級タイトル挑戦・獲得) ○判定10R 
1995. 8.18 大場貴志
(日本フライ級タイトル防衛1) ○TKO10R 
1995.12. 4 瀬 徹
(日本フライ級タイトル防衛2) ○TKO5R 
1996. 4.22 平野公夫
(日本フライ級タイトル防衛3) ○TKO7R 
1996. 8.26 勇利アルバチャコフ
(WBC世界フライ級タイトル挑戦・失敗) ●TKO9R 
1997. 7.21 エリック・チャベス ○TKO7R 
1997. 9.22 ハイメ・アリギン ○KO5R 
1997.12.15 ロイ・クラベ ○TKO5R 
1998. 4.20 ルディ・エダニオ ○KO2R 
1998. 6.29 ローランド・パスクァ ○判定10R 
1999.10.18 鹿島基成 ●TKO3R

 

 

経歴

 

戦績を見ていただくと分かると思うのですが、かなりの数のリングに上がっています。

この通り、アマチュアで実績を作り鬼塚・辰吉と共に【平成の三羽烏】と呼ばれてプロデビューしたピューマ渡久地。

10戦目の日本王座初挑戦まで9戦9KOでここでもKO勝ちを収めて10戦10KO。

その後の防衛戦もKO勝ちしデビューから連続KO勝利数を11に伸ばしました。

このデビュー戦から11戦連続KO勝ちは日本歴代3位の記録となりました。

 

1991年3月に3度目防衛戦でロシア人ボクサー勇利アルバチャコフ【リングネームはチャコフ・ユーリ】と対戦することになっていましたが、試合直前に当時の所属ジムとトラブルを起こし疾走しました。

ここで無期限のライセンス停止処分を受けます。

この時、『ビビったんじゃないか?』とも言われていました。

 

その2年後復帰しました。

復帰しましたが元世界チャンピオンのロハスにKO負け。

そしてジム移籍しドタバタしがらも日本フライ級チャンピオンの岡田に挑戦し、判定勝ちした。

試合後、リング上でのインタビュー中に岡田の応援団に激しく野次られ激怒。

「気に入らないなら(チャンピオン)ベルト返してやるよ!」と叫び、ベルトを外そうとする一幕があった。

1998年12月にWBA世界スーパーフライ級王者飯田覚士に挑むことになりました。

試合前に『脳梗塞の疑いがある』と診断され挑戦を中止しせざるを得なくなりました。

ですが結局『脳梗塞の疑い』は誤診でありました。

しかしそんな診断されてしまってはそう簡単には復帰できません。

リング復帰まで1年以上も要しました。

1999年10月、1年4か月ぶりの試合に臨んだが、3回TKO負け。

結局、この試合を最後に現役を引退することになったのです。

どこか外的要因もあったので、この辺りは苦渋の決断でしょうね。

 

このあとボクシングジムを開くことになります。

それは今現在でもです。

しかし現会長は元奥様の生田(渡久地)聡美さんです。

何故かまだ若いはずのピューマ渡久地さんではないのです。

それは何故か。

日々記憶失っていく病になってしまったのです。

 

 

ピューマ渡久地を襲った重責癲癇(じゅうせきてんかん)

参考:Yahoo!

 

ジムの会長という慣れない仕事のストレスで酒に溺れたりもしたようですね。

事務を開いた2年後事件が起こります。

ボクシング協会の理事会の最中に渡久地さんは突然倒れます。

白目を剥き・全身が硬直・痙攣して・口から泡を吹いたようです。

そして病院で言われた病名は…その場では何も言われなかったようです。

当初は脳梗塞を疑われました。

しかし数時間後、本人は何食わぬ顔で『何で病院にいるんだ?』と記憶が失われていたのです。

その後も度々倒れました。

そして後に病院で検査の結果を言われたのが…脳梗塞ではなく重責癲癇(じゅうせきてんかん)でした。

本来癲癇は数分の発作らしいですが、渡久地さんの場合は20分以上も発作があると言います。

これは重責癲癇の症状なのです。

 

記憶の全てを失っていく

参照:Yahoo!

 

 

今現在の渡久地さんは全ての記憶失っていく状態なのです。

新しい記憶(ほんの数時間前)ですらも失っていく状態。

実家のある沖縄で畑仕事をしているようですが、作業を教えているのですがすぐに忘れてしまうのです。

右半身のマヒも出ているようで、食事もままならない状態。

 

渡久地さんには2女1男の子供がいますが既に就職していた長女に対し、『何で小学生がこんなに買えりが遅いんだ!』と怒鳴り散らしたこともあるそうです。

記憶は止まっているのです…

 

まとめ

 

 

爆報フライデーでは離れ離れで暮らしている家族と再会が放送されます。

しかしここでも衝撃的な言葉を娘に投げかけることになります。

ボクシングの怖い部分ですよね…。

因果関係は分かりませんが、実際に引退後身体に異変が起きている方々は確かに多いです。

ここから病を克服するピューマ渡久地さんを私は待っています。

 

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