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清水哲監督(消えた天才)の今現在。なぜ車椅子生活になったのか。桑田真澄との関係は?

2019年5月26日(火)18時30分~21時00分にTBS系で放送される【消えた天才】にあの桑田真澄さんが天才と称する清水哲さんが出演します。

清水哲さんはプロ野球選手を目指していた大学時代に試合プレー中のアクシデントにより頚椎骨折。

リハビリの甲斐なく車椅子生活になってしまいました。

そんな壮絶な人生にも負けず今現在も様々な活動を続けている清水哲さんの人生を振り返ってみます。

 

 

消えた天才☆番組の概要☆

参照:TBS

 

桑田真澄が憧れ続けた悲劇の天才投手「俺を殺してくれ」

…天才が歩んだ壮絶人生&桑田との知られざる感動秘話 

 

桑田が憧れ続けた天才は、PL学園の1歳上のピッチャー
しかし、その天才投手は大学に進学後、ある悲劇で野球界から姿を消した。「桑田よ、俺を殺してくれ…」天才が歩んだ壮絶な人生。
そして、30年に渡る天才と桑田の知られざる絆のドラマが明らかに!

 

清水哲監督の経歴

 

 

まずは清水哲さんの経歴をご紹介します。

参照:Yahoo!

 

名前 清水 哲 (しみず てつ)
生年月日 昭和41年4月9日生(52歳)
出身 大阪府守口市
出身校

守口市立八雲小学校卒

同市 八雲中学校卒

PL学園高校卒

同志社大中途退学

 

野球が大好きでプロ野球選手を夢見ていた子供時代、そんな時に影響を受けたのがPL学園の夏の甲子園での初優勝でした。

負けそうになっても最後には勝つという粘り強い勝ち方を見て「高校はPLに入って甲子園に行く!」という決意をします。

その夢を実現し、PL学園3年生の時に春夏甲子園に出場し、見事共に準優勝を果たします。

その後同志社大に進学、1年生の時のリーグ戦での試合中に大ケガを負い、車椅子生活になりました。

絶望の中でも野球を愛し、自分の境遇を受け入れ今現在も多方面で活躍されてらっしゃる清水哲さんのことを調べていきたいと思います。

 

 

清水哲監督の今現在

 

参照:Yahoo!

 

 今現在、車椅子生活を続けながら全国で講演活動をしたり、本の執筆、また、マスターズ甲子園出場を目指すPL学園野球部OBチームで監督を務めています。

口にくわえたスティックでパソコンを使い9年かけて書いた「桑田よ、清原よ、生きる勇気をありがとう」の著書がベストセラーとなりました。

このように多方面にわたり活躍されています。

 

また、車椅子生活の清水哲さんのホームヘルパーとして派遣され知り合った由美子さんと2001年1月に結婚、幸せな生活を送られています。

 

 

なぜ車椅子生活に…

 

参照:Yahoo!

 

 プロ野球選手を夢見ていた同志社大学1年の時の関西学生リーグ公式戦の試合中、フォアボールで1塁に出塁した清水哲さんは次のバッターが2ストライク1ボールの時に1塁から2塁への盗塁を狙います。

その時に2塁に滑り込むタイミングが遅れ相手チームのショートの選手と激突

そのままベースタッチしようと目を開けようとした時に首にこれまで感じたことの無い激痛が走りました。1ミリも手足を動かせない状態になりそのまま病院に搬送されました。

検査の結果、頚椎骨折。手術を受け命は取り留めましたが、手術から9ヶ月後リハビリ開始をしましたが、そのかいもなく手足が動かない不治の状態に。

車椅子の生活が始まったのです。

 

この時の清水哲さんの心中はきっと、誰にも理解出来ないほどの絶望感でいっぱいだったことでしょう。

車椅子生活が始まった8年後、身の回りの世話をしてくれていた清水哲さんの父親が脳梗塞で倒れます。

母親が父親の面倒を見なければいけなくなり、清水哲さんは病院を転々とし周りの助けを借りながら一人暮らしをすることになりました。

手足が動かない状態での一人暮らし、どれほど大変なものか想像を絶する苦労がたくさんあったと思います。

 

桑田真澄との関係は?

 

参照:サンスポ

 

 清水哲さんと桑田真澄さんはPL学園高校野球部の時の先輩後輩の関係で、清水哲さんが桑田真澄さんより1つ上の先輩です。

桑田真澄さんが中学2年の時に、清水哲さんが在籍している八雲中学校の野球部と対戦して、桑田さんがいたチームは八雲中学校に2-1で惜敗しています。

その頃から2人は接点がありました。

桑田真澄さんは1つ上の清水哲さんに憧れていて、

「キレとコントロールが天才」と清水哲さんの事を桑田真澄さんは絶賛していました。

 

 

桑田真澄さんは車椅子生活になり絶望の淵にいた清水哲さんに励ましの言葉をかけ続け、清原和博さんと共に、PL時代の同級生が中心となり清水哲さんを励ます「哲和会」を結成しました。

 

清水哲さんは、自分と桑田真澄さんの間に天国と地獄ほどの差があることがたまらなくなり、オフの時に清水哲さんの顔を見に来た桑田真澄さんに一度だけこんな事を言ったそうです。

 

「桑田、俺を殺してくれ。何にも出来ない自分が情けない。」

 

すると桑田真澄さんは清水哲さんにこう答えたのです。

 

「哲さん、何を言っているんですか!少なくとも僕にとってあなたは役に立っています。そういう事は二度と言わないで下さい。そんな事を言う人は僕の先輩じゃありません。」

と。

 

きっと清水哲さんは桑田真澄さんの言葉を聞きハッとしたのではないでしょうか。また2人の絆と信頼が強いからこそ桑田真澄さんも先輩にこの言葉を伝える事が出来たのだと思います。

今でも桑田真澄さんと清水哲さんは深い絆で繋がっています。

 

まとめ

 

参照:Yahoo!

 

 

夢のプロ野球選手実現を目の前に、不慮の事故で一瞬のうちにその夢が砕け散った清水哲さんの人生。

天才と呼ばれた投手から一転、これまでどんな気持ちで人生を過ごしてこられたのか、またなぜここまで強く生きられるのか、清水哲さんのことを調べていくうちにもっと詳しく知りたいと思いました。

きっとこれからもずっと強く人生を歩んでいかれることでしょう。

見習わなければいけない清水哲さんの強さに本当に感動しました。

 

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