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松島トモ子今現在と経歴。母の認知症で介護中とライオン、ヒョウに襲われる。 壮絶な人生とは?

爆報!THEフライデー【松島トモ子の衝撃告白&あの人は今…大追跡SP】で松島トモ子さんの今現在が放送されます。

松島トモ子さんの言えばやはり…

海外ロケでライオンとヒョウに襲われ、日本に帰国された時のギプス姿を思い出される人も多いのではないでしょうか?

そんな松島トモ子さん、これまで支えてくれたお母様の介護の日々を告白されました。

大変な中でもお母様との今の生活を送れるようになるまでには壮絶な闘いがありました。

今日はそんな松島トモ子さんのこれまでを詳しくご紹介していきたいと思います。

松島トモ子今現在と経歴。母の認知症で介護中とライオンやヒョウに襲われる。 壮絶な人生とは?

 

 

【松島トモ子さんの経歴】

 

参照:Yahoo!

 ここで松島トモ子さんの経歴をご紹介します。

本名 松島奉子
生年月日 生年月日 1945年7月10日生(73歳)
出生地 満州国
国籍 日本
学歴

目黒区立東根小学校卒業

大東学園高等学校卒業

 

満州で生まれ、幼い頃に商社マンだった父と生き別れ母に連れられて日本に帰国。

それからずっとお母様と2人で二人三脚で頑張ってこられました。

1949年に映画子役としてデビューすると、そのかわいらしさが大人気となり、

1956年嵐寛寿郎主演の『鞍馬天狗』に男の子役で出演、また1956年江利チエミ主演の『サザエさん』でワカメ役として出演するなど、ここには書ききれないほどの数々の映画に出演されています。

最近では2014年の映画『テルマエ・ロマエⅡ』に出演されています。

その他、10代の頃は雑誌の表紙モデルをつとめたり、ワイドショーのMCをこなしたり、美しい声の持ち主で歌も歌われています。

このようにマルチな才能を生かし、今年でなんと芸歴70年目の素晴らしい経歴をお持ちです。

 

 

ライオン、ヒョウに襲われた過去

 

参照:Yahoo!

 

やはり松島トモ子さんと言えば、ライオンとヒョウに襲われたというエピソードが一番に思い出されます。

1986年日本テレビの『TIME21』の海外ロケで訪れていたケニアで2回続けてライオンとヒョウに襲われるという恐ろしい体験をされています。

一度目はライオンに背中や頭を噛まれ現地で10日間入院、その後退院したあとのロケ中にヒョウに首などを噛まれました。

 

噛まれた時に「ガリッ!」という骨が砕かれる音が聞こえたそうで、松島トモ子さんは「死んだ」と思ったそうです。

現地で治療を受け痛々しい姿で日本に帰ってきて記者会見をしている姿がとてもショッキングでした。

 

参照:Yahoo!

 

日本であらためて病院で診てもらい、その診断は『第四頚椎粉砕骨折』全治6ヶ月で、医者は松島トモ子さんにこう言ったそうです。

「傷があと1mm深かったら、確実に完全麻痺か死に至っていた。」

と。

考えただけでもゾッとしますね。

一度ならず二度までも襲われ後遺症もなく完治出来たことはほぼ奇跡に近いでしょう。

松島トモ子さんはかなりの強運の持ち主ですね!

 

 

松島トモ子さんの今

 

参照:TBS

 

 今はテレビ番組レギュラー出演などはされておらず、特番や映画に時々出演したり、慈善活動に力を入れてらっしゃいます。

一緒に暮らしているお母様の介護経験を伝える講演活動もされています。

今でこそ、こうやって元気に様々な活動をされていますが、ここに来るまでには壮絶な「闘い」がありました。

 

 

 

母の認知症で介護

 

参照:Yahoo!

 松島トモ子さんの芸能活動をマネージャーとしてずっと支えてこられた松島さんのお母様は松島さんにとって憧れの存在でした。

 

  • 上品で人の悪口は絶対に言わない。
  • だらしない格好はせずにいつも凛としていた。

 

そんなお母様に異変が起こったのです。

 

2016年春お母様は骨折をしてギプスを装着されたのですが、そのギプスをハサミで何度も切って外したのです。

その度に松島さんはお母様を病院に連れていきギプスをつけ直してもらいました。

始めは「キレイ好きな母はこんなものを付けているのがよっぽど嫌なのだろう。」と思っていました。

しかし、これがお母様の異変の始まりだったのです。

 

 

お母様の95歳の誕生会での出来事。

一緒に食事をしている人の誰とも話さず一人で黙々と食事をしていた母親の様子が気になった松島さんはお母様に声をかけました。

するとお母様は失禁してしまったのです。

その後もお母様は暴言を吐いたり、物を投げたりと症状は悪化していきます。

しまいには、幻視の症状が現れます。

「コートを着て軍靴を履いた人が相談しているわ」

「窓ガラスに光が見える。戦車が来る!」

と叫ぶようになったのです。

 

その頃から徘徊という「逃走」始まり、夜中に部屋から飛びたず母から目を離さないように、松島さんはお母様の部屋の入口に布団を敷き外出着を着て寝ていたそうです。

元々心から尊敬していた母。

母が変わっていく姿は松島トモ子さんに耐え難いものでした。

この状況だけでも社会問題になる程の大変な状況に関わらず、松島トモ子さん自身がストレスのために過呼吸になり尿院に搬送され【パニック障害】と診断されてしまいました。

尊敬する母の介護ご自身の病気…これがどれほど辛いものか。

心が折れ仕事も休まざるを得なくなってしまいました。

心も体もボロボロになり追い込まれていったのでしょう。

 

しかし、そんな生活に光が差す時がきます。

2016年冬にお母様のかかりつけ医を認知症専門医に変えました。

詳しく調べた結果『レビー小体型認知症』と診断を受けたのです。

この認知症の特徴は幻視で、母のこれまでの症状に当てはまっていたのです。

この症状は薬で改善されるということで早速薬を飲ませようとした所お母様は薬を拒否して大暴れしたそうです。

それでも、根気よく薬を飲ませ続けていくうちに、この薬を飲むことで楽になる事がお母様もわかったようで今では美味しいものでも飲むように素直に飲んでくれるようになったそうです。

 

 松島さんご自身もご高齢であるにもかかわらずそれでも立ち向かわなければならない「老老介護」の壮絶さ。

体の健康だけでなく心の健康さえも奪ってしまう先が見えない介護は他人事ではなく誰でもいつかはありえる現実問題です。

 

 

まとめ

 

参照:Yahoo!

 

 松島さんは今があるのはケアマネージャーさんの支えが大きいと仰っています。

お母様のデイサービスで納得いかない時がありケアマネさんに相談したら「はい次に行きましょう!デイサービスは他にもたくさんありますよ。」と提案してくれて助けられたそうです。

お世話になっている施設でも、やはり合う合わないは個人によって違います。

 

かかりつけ医でも同じく、医師と合わない。不信感を持ってしまった。

など心にわだかまりを持つことがあるのではないでしょうか。

でも、やはり「お世話になっているから…。」という申し訳ない気持ちが先に立つ。

これは日本人の独特の考え方で仕方ないことなのかもしれません。

しかし、いつ終わるともわからない長い介護の中では納得いかなければ「伝える。変える。」ということは大切な一つだと感じました。

介護される側、する側が共に少しでもお穏やかに過ごせる介護が出来るように。

 

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